<仕える者になりなさい ルカの福音書22章24~30節>
「ハラスメント」「パワハラ(パワーハラスメント)」ということばは、日常的なことばとなりました。「パワハラ」とは、「社会的な地位が優位な者による、自らの権力や組織内の優位性を利用したハラスメント(嫌がらせ)」と説明することができます。私たちは「パワハラ」の被害者のみならず加害者になることもあるのです。イエス様は、指導する、教える、管理する、育てる、養うことについて、「仕える者になりなさい」と教えています。仕えられる者がこの世では偉いが、キリストは仕える者となり、仕える者が神の国を治めるからです。
1.仕えられる者がこの世では偉いが
イエス様の弟子達は、イエス様の十字架の死の直前、最後の晩餐の後に話題にしたのは、「自分たちのうちでだれが一番偉いか」でした。イエス様は、この世で偉くなることは、仕えられる者になる偉さだと教えました。①この世で偉くなりたい動機は、自己中心なねたみです。私たちは「偉さの序列」の中で自分の存在を確かめようとします。②この世で偉くなる方法は、「恩を売る」ことです。恩を売り、自分に背けないようにすることで、自分が支配し自分に仕えさせ、人を利用することで、私たちは偉くなろうとします。③この世で偉くなる状態は、人に利用される立場でなく、人を利用する立場に立つことです。しかし、聖書が教えてることは、自己中心なねたみによって手に入れた「この世の偉さ」は空しいと結論付けています。なぜならば、「この世の偉さ」は、この世限りのものであり、神様のさばきに耐えることができないからです。
2.キリストは仕える者となったから
この世で言う偉さは、仕えられる者になる偉さです。しかしイエス様が教えている真実な偉さは、「仕える者になる偉さ」です。なぜならば、イエス・キリストこそが「仕える者」になったからです。①キリストが仕える者となった動機は、死の滅びに向かうほかにない、空しい存在である私たち罪人を救い出す「愛」です。②キリストが仕える者となった方法は、「贖いの代価」として、自分のいのちを与え、十字架の死にまで従うことでした。③キリストが仕える者となった謙遜に、私たちは倣うべきです。私たちは、十字架の死にまで従い、私たちに仕えたイエス・キリストを信じ受け入れましょう。そして、神様によって私たちが生かされたからこそ、今度は私たちが、神様によって人が生かされるために、神様に仕え人に仕える者となりましょう。
3.仕える者が神の国を治めるから
イエス様は、私たちに、人生最後の日まで、神様に仕え人に仕える者であることを求めています。神の国は、仕える者が権威の座に着き、権威に伴う権力を、神様にあって人が生かされるために用いる世界です。神様に仕え人に仕え、互いに愛し合い、仕え合う世界です。だからこそ、神の国が地上に実現するために、『仕える者になりなさい』とイエス様は私たちに教えているのです。
関連聖書箇所
◎伝道者の書4章4節
4 私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた空しく、風を追うようなものだ。
◎マルコの福音書10章45節
45 人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」