<よみがえりこそ生きる希望 ルカの福音書24章1~12節>
事実に基づかない「偽情報」「デマ」が、私達の生活を混乱させ、悪化させます。主イエス・キリストが死から復活した事実こそが、私達の人生や生活を真実に変える『生きる希望』です。主のからだは墓になかった。生きている主を死人に捜さず、主が話したことを思い起こす。
1.主のからだは墓になかった
安息日(土曜日)の一日が経過した後の日曜日の早朝、イエス様の女の弟子達は、イエス様の遺体に香料を塗るために、イエス様の墓にやって来ました。イエス様の墓の入口を塞いでいた墓石が転がされていたのです。イエス様の墓を覗き込むと、『イエス様のからだは見当たらなかった』のです(3節)。イエス様の墓は、墓石で堅く閉じられていたのです。ローマの封印が張られていたのです。ローマ兵が厳重に監視していたのです。イエス様のからだは、誰かが運び出したのではありません。イエス様は日曜日の早朝までに、死から復活され、墓石を通り抜けて、墓の外に出られたのです。四つの福音書が、イエス様の墓と埋葬の様子を詳しく伝えています。二つの理由が考えられます。理由①イエス様は完全に死なれたことを確認している。理由②イエス様の死からの復活は、「幽霊の復活」ではなかった。地上の肉体が面影の残った、天上のからだ、二度と朽ちない栄光のからだ、神の国の初穂としての死からの復活でした。信仰者も復活の主イエス様と同じ復活のからだが与えられるのです。
2.生きている主を死人に捜さず
女の弟子達は、イエス様のからだが墓に見当たらなかったことで、途方に暮れたのです。イエス様のからだを誰かが運び出したと考えても、それは不可能なことでした。主の御使いが、女の弟子達に、生きている主を死人に捜すべきでないことを教えたのです。三位一体の神であるイエス・キリストは、私達罪人の身代わりとなって十字架で死に、その使命を果たした後も、死に繋がれたままであることはあり得ないのです。私達は、今も生きておられるイエス様を死人の中に捜し回っても、見つけ出すことはできないのです。復活の主イエス様の後に続く召天者についても同じことが言えます。今も生きているイエス様、そして今も生きている召天者を、私達は死人に捜すべきではありません。
3.主が話したことを思い起こす
主の御使いは、イエス様が弟子達に予告していたことを思い起こすことを教えました。イエス様は、繰り返し、私達人類の罪の身代わりとなって十字架で死に、死から復活することを予告していたのです。私達は、自分を罪と死から救うためのキリストの十字架の死と復活であったことを思い起こそうではありませんか。私達は、自分の感覚でなく、聖書からイエス様の復活の事実確認をしましょう。生きている主を死人に捜さず、主が話したことを思い起こし、復活の主イエス様を信じましょう。よみがえりこそ、私達の生きる希望です。
関連聖書箇所
◎マタイの福音書28章1,2節
1 さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。
2 すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。
◎使徒の働き2章24節
24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
◎ルカの福音書9章22節
22 そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。
◎ルカの福音書13章32、33節
32 イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『見なさい。わたしは今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒やしを行い、三日目に働きを完了する。
33 しかし、わたしは今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはあり得ないのだ。』
◎ルカの福音書18章31~33節
31 さて、イエスは十二人をそばに呼んで、彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現するのです。
32 人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられます。
33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」