<みことばを宣べ伝える テモテへの手紙第二4章1~5節>
本日の礼拝式の中で行った洗礼式を通して、私達は、『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい』(2節)との神様のみことばに従う時、神様は私達を祝福してくださることを知ることができました。
みことばを宣べ伝えなさい、神の国の完成に目を向け、時が良くても悪くても、
忍耐の限りを尽くして。
1.神の国の完成に目を向け
『みことばを宣べ伝える』(2節)時に、私達は時代の潮流に目を向けなければなりません。使徒パウロは、時代の潮流として、「イエス・キリストの再臨による神の国の完成」に目を向けることを教えています。イエス・キリストが再臨される時は、最後のさばきが下される時です。主イエス・キリストが再臨する時、その時地上に生きている者達と、すでに死んで死から復活した者達が主の御前に立ちます。そして最後のさばきを受けます。主イエス・キリストを信じる者達は永遠の祝福に入ります。しかし主イエス・キリストへの信仰を否定する者達は永遠の刑罰に苦しむことになります。主イエス・キリストが私達の罪の身代わりとなって十字架で死に、死から復活することで、私達の罪を赦してくださったからです。地上での祝福よりももっと大切なことは、神の国で永遠の祝福に入ることです。永遠の刑罰の苦しみから救われることです。神の国の完成、最後のさばきに目を向けながら、みことばを宣べ伝えましょう。
2.時が良くても悪くても
ローマの獄中で殉教の死を前にしている使徒パウロが見ているのは、「良くなる時代」でなく、「悪くなる時代」でした。時代が悪くなる原因として、世界最強であったローマ帝国によるキリスト教徒への組織的な迫害と、地中海世界を知的文化的に支配していたギリシャ哲学思想との戦いがありました。悪い時代は、「人々が健全な教えに耐えられなくなる」時代、「真理から耳を背ける」時代、「自分の好みにあうことを聞こうとする」時代、「作り話(偽情報)にそれる」時代です。イエス・キリストの十字架の死と復活を信じ受け入れ、信仰に真実に生きることで、私達は必ずこの世との違いに苦しむことになります。しかし悪い時代に、涙し泣きながら種を蒔く者達が、喜び叫びながら刈り取ることができます。時が良くても悪くても、みことばを宣べ伝えましょう。
3.忍耐の限りを尽くして
『忍耐の限りを尽くして』(2節)とは、時代への対処として、「どんな場合にも慎んで苦難に耐える」(5節)ことです。時代の苦難に耐えながら、今の時代を見極めて、今の時代に必要とされる聖書のみことばを宣べ伝えることです。そして、自分自身への対処として、福音を伝える者としての務めを十分に果たすことです(5節)。忍耐の限りを尽くして、時代の預言者として、みことばを宣べ伝えましょう。
関連聖書箇所
詩篇126篇5,6節
5 涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。
6 種入れを抱え泣きながら出て行く者は 束を抱え喜び叫びながら帰って来る。
JECA(日本福音キリスト教会連合)信仰告白第九条
◎再臨と最後の審判
『主イエス・キリストは、みからだをもって再び来られる。死者はからだをもってよみがえり、すべての者がさばきの前に立つ。主は信じる者を永遠の祝福に、信じない者を永遠の刑罰に、分かち定められる。主は終わりにすべてを新たにし、御国を父なる神に渡される。』
JECA(日本福音キリスト教会連合)戦後80年声明の抜粋
◎第二次世界大戦で私達の教会が犯した罪の悔い改めについて
(ⅰ)国家神道体制の下で、天皇を現人神とする偶像礼拝の罪を犯した。
(ⅱ)同じキリストのからだに属するアジアの教会にも、偶像礼拝を強要する罪を
犯した。
(ⅲ)加害者である日本の国と日本の人々に対しても預言者としての役割を果たさ
なかったという大きな罪責を負う。